成人式

2020年4月 9日 (木)

18歳成人と成人式(12)「成人の日」のルーツ

 成人式が行なわれる元となった「成人の日」は1948(昭和23)年の「国民の祝日に関する法律」によって定められました。この法律では「成人の日 一月十五日 おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」とあります。
 戦前の祝祭日には成人の日はないため、なぜ成人の日が祝日のひとつに入り、しかも1月15日なのかは不明な点が多くありました。今回、いろいろ調べてみて、成人の日のルーツが戦前の「青年記念日」にあることをが判明しました。
 今回の発見のきっかけは前回お話しした名古屋市連合青年団による成年式です。というのはこの成年式が11月22日の「青年記念日」に行なわれているのです。青年記念日とは、1930(昭和5)年11月5日の文部次官通牒「青年記念日ニ関スル件」によって定められています。11月22日は、10年前の1920(大正9)年のこの日に青年団の代表者が皇太子(昭和天皇)よりお言葉(令旨)を賜った日です。
  
 戦後の祝祭日の制定に当たっては、衆参両院の文化委員会で議論されます。1948(昭和23)年4月15日に政府より祝祭日の「暫定案」が示されます。この中に「9月23日 若人の日」があります。これを受けて、参議院の文化委員会が「11月23日 成人の日・若人の日」を提案します。11月23日は戦前の重要な祝祭日である新嘗祭の日であり、青年記念日の翌日に当たります。その後、当時日本を占領していたGHQの意向もあり、再度政府案が5月1日に示されます。ここには「正月三日 成人の日」とありました。そして最終的に「成人の日 1月15日」に落ち着くのです。
 なぜ1月15日なのか? 衆議院の文化委員であった受田新吉によると「元服が正月に行われた古来の例もあり、一月十五日は松の内と称してめでたい新年であり、若者の成育を祝うのにふさわしい」という理由です。

 すなわちこう考えられます。「11月22日 青年記念日」→「9月23日 若人の日」→「11月23日 成人の日・若人の日」→「1月3日 成人の日」→「1月15日 成人の日」。日付については二転三転していますが、成人の日のルーツが昭和5年の青年記念日にあることは間違いありません。

 成人の日はその後2000(平成12)年にハッピーマンデー制度により、1月15日から1月第2月曜日に移されました。1月15日という日付には特に根拠がなかったということでしょう。

[参考]熊谷辰治郎編(1942)『大日本青年團史』
    受田新吉(1948)『日本の新しい祝日』日本教職員組合出版部

 

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18歳成人と「成人式」(11) 成人式の起源

成人式の起源

 この連載の6回めで、成人式の起源は1946(昭和21)年に蕨市で行なわれた「成年式」であると書きました。その後成人式について調べていく内に、成人式の起源がさらに遡って、1933(昭和8)年に名古屋市で行なわれた成年式であるということが判明しました。
 名古屋市連合青年団では昭和8年11月22日に第1回の成年式を行なっています。この式は満20歳に達して徴兵検査を終了した男子成人を対象に行なわれました。青年団とは、江戸時代から各村落にあった「若者組」を改組する形で、全国的に作られた団体で、各市町村の組織の末端に位置づけられていた団体です。
 この成年式の式典の内容は「聖恩旗の入場、国家斉唱、宮城遙拝、青年団長による令旨奉読と式辞、成年者代表による宣誓、加盟八青年団への奨励金交付、来賓式辞、団歌合唱、万歳三唱、そして聖恩旗の退場」となっています。その後、著名人による講演会、さらに娯楽の集いとして青年団員により、謡曲、詩吟、民謡、剣舞などが披露されました。また、参加者には青年徽章と大日本帝国憲法の小冊子が配られています。この成年式の式典の内容とその後の講演会と催し、そして記念品の配布という形式は、戦後の成人式にもほとんど引き継がれていくものであり、名古屋市連合青年団の成年式にその原型があったものとみることができます。
 戦後の蕨市の成年式も、その発起人は蕨町青年団長であり、式典の内容も日付もほぼ同じであることから、この名古屋での成年式を参考にして、戦後復活したのだと考えられます。現在の形の市町村が主催する成人式が1949(昭和24)年に行なわれる以前にも、愛知県、岐阜県、香川県、群馬県、栃木県、山梨県などで「成年式」が行なわれていたようです。名古屋発の成年式が、戦前、戦後初期に一定の広がりをもって実施されていたと考えられます。

[参考]室井康成(2018)「現代民俗の形成と批判-「成人式」問題をめぐる一考察-」『専修人間科学論集 社会学篇』Vol.8-2, p.67-68.

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2020年1月14日 (火)

18歳成人と「成人式」(10)

 「成人式」について発言しているので、一度は成人式を見ておかねばならぬと思い立ち、蕨市の成人式に行ってきました。蕨市は成人式の発祥の地と言われていて、名称も昭和21年当時の名前である「成年式」と称しています。
 和服の女性にインタビューしたところ、レンタルで20万円とか。写真、髪も入れると30万円ですよね。月給にも相当する額です。それだけの価値があるのでしょうか。
 式は14人の青年の実行委員会が進めていました。前半は市長と来賓のあいさつ、ということで退屈でした。しかし、後半は若者代表の宣言や演奏などもあり、飽きさせないくふうがありました。特によかったのは、中学時代の教員が10数名出てきて、新成人に祝辞やエピソードを述べたことです。最高潮に達したのは、サプライズでダイゴと浜口京子が登場したときです。主催者も参加者を集めるためにいろいろ考えていますね。
 3日ほどまえにTBSから取材の依頼があり、私が蕨市の成人式に行くことを告げると、TBSの方々も取材に来られました。ニュース23ですが、成人式の歴史的な映像もあり、かなり長い時間の報道でした。成人式は18歳か20歳かという論点も取り上げられていて、私も若干コメントしました。

 







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2020年1月12日 (日)

18歳成人と「成人式」(9)

成人式は必要か?

 それでは当事者である新成人は成人式をどのように捉えているのであろうか。筆者は成人式を目前にした1月の最初の授業で学生たちにアンケートをとった。その結果、成人式に参加する学生たちの動機は、多くが同級生に会えるから、あるいは親が喜ぶからということであり、式典の内容にはほとんど関心を示していなかった。

 このような現状のなかで、果たして市町村が公費を使って行う成人式は今後も必要なのであろうか。明確に言えることは、法制度的にも民俗学的にも根拠が薄弱である「20歳を祝う会」については、地方自治体が公費を支出して行う意義は存在しないということである。先に述べたように、戦後「成人年齢20歳」を国民の間に定着させたのは自治体ごとに行う成人式であった。民法、公職選挙法、国民投票法、児童福祉法、労働基準法という成人を規定する一連の法律が成人を18歳とする中で、成人としての自覚を促し、国民の間に「18歳成人」の定着させるための成人式は当然18歳時に実施するべきである、というのが結論である。

 今後、中学・高校教育の現場では18歳成人に向けて、主権者教育、消費者教育、市民教育の新たな展開が求められる。これらと相まって、18歳での成人式が位置づけられるのであれば、公費で行う成人式もそれなりに意義があるということができるであろう。

(ご意見、お問い合わせは momo.suke●nifty.com まで。これからも18歳成人と成人式に関する話題をアップする予定です。)

 

 

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18歳成人と「成人式」(8)

「大人」とは何か?

 20世紀前半、昭和初期の日本社会では子どもから大人への移行期間は短かった。身体的な成熟は女子の初潮、男子の精通をもってはかれるが、当時は推定で13-15歳であった。戦前の実質的な成人式とも言える青年団への加入式は数えで15歳が多く、改正前の民法では女子は16歳で結婚することができた。

 戦後において、産業が成長し技術が進歩するとともに高学歴化が進んだ。民法の成人年齢である20歳においても多くの若者は在学していて、経済的に自立していないという事態となった。会社や役所において「一人前」と認められるのは30歳前後であり、結婚の平均年齢も30歳に近づいている。一方、身体的な発達は早まっているので、子どもから大人への移行は10代前半から30歳前後までおよそ20年に及ぶことになる。

 右肩上がりの経済成長が止まり、終身雇用制が崩れた1990年代からは大人と子どもの関係性も大きく変化する。大人が指し示す価値に対して子どもたちが疑念を抱くようになる。学校に行かないという「不登校」が大きな社会問題となる。学校教育も「個性尊重」する時代となり、教育方法も「指導」から「支援」へと大きく転換が求められた。大人の権威が失われる中で、「権威者」である市町村長や講演者が一方的に「諭す」タイプの成人式に対して拒否反応が示される。これが荒れる成人式の一因となるのである。

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18歳成人と「成人式」(7)

「荒れる」成人式

 成人式はもともと青年団から発想されたこともあり、市町村が主催する場合にも地元の青年団が自発的に関わることが多かった。ところが1960年代の高度成長期に、多くの若者が都市部に移動したこともあり、農村部での青年団が弱体化する。もともと参加率が低かった都市部を含めて、年々成人式への参加率が低下していった。1970年代以降、都市部を中心に和装で成人式に出席することが定着していく。和装の広がりは一方で経済的に参加しにくい若者を生み出すが、他方では華やかな式典に新成人を参加させたいという親の期待も高まり、出席率の低下傾向に一定の歯止めをかけたとみることもできよう。

 1999(平成11)年の仙台市の成人式で講演していた考古学者の吉村作造が、会場の新成人が騒がしく講演を聞く態度ではないとして講演を中止し退席するという事件が起きた。2001(平成13)年には高知市の成人式で新成人が市長に野次を飛ばすということがあり、また高松市では新成人が壇上の市長にクラッカー炸裂させ、刑事告訴にまで発展した。実際、当時の成人式では、新成人は会場に入らずに外で同窓生と興じたり、同窓会の待ち合わせに利用されることも生じていた。成人式会場付近で、ヤンキー集団の「代替わり」の儀式が行われることもあった。

 これらは「荒れる成人式」として社会問題にもなり、成人式不要論も登場した。意義のある成人式を創造するために新成人式研究会が2001年に設立されて、毎年、優れた成人式の実践を行った団体や行政を顕彰してきた。成人式が荒れた背景には、この時期に大人と子どもの関係性が大きく変容していることが上げられる。

 

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18歳成人と「成人式」(6)

成人式の起源

 それでは、現在のように自治体が公費で行う形の成人式はいつどうように始まったのであろうか。日本の伝統では人生の節々でそれを祝う行事が行われてきた。新生児のお宮参り、七五三、元服、結婚式、還暦祝い、等々。それらはそれぞれの家庭ないしは共同体でお祝い行事を行っていた。成人式が特異であるのは、すべての自治体が公費で行事を行っていることである。

 成人式の起源は、敗戦直後の1946(昭和21)年11月に埼玉県蕨市で「成年式」を実施したこととされている。これは、行政主催ではなく地元の青年団が中心となって行われたものである。蕨市は今でも成人式ではなく成年式と呼んでいて、「成年式発祥の地」の銅像も建っている。1948(昭和23)に制定された「国民の祝日に関する法律」によって115日が「成人の日」として祝日になった。なぜ成人の日が設けられたのかは定かではないが、敗戦後の日本を立て直すに当たって子ども・若者に期待が寄せられたことは想像に難くない。115日という日付の意味についても定説はないが、戦前は年齢の数え方が正月をもって加齢していて、武家社会の元服の行事も正月に行われていたことに由来するのであろう。なお、現在の成人の日は祝日法の改正により1月の第2月曜日に移動している。

 新しく制定された成人の日の行事として、蕨市などで行われていた成人式が全国的に採用されることとなった。当時はまだ中学卒業で就職就業する者が多く、また市町村ごとに組織されていた青年団への加入も15歳であったので、成人式を何歳で行うかは定まっていなかった。20歳での成人式が定着するようになったのは1956(昭和31)年頃である。逆に言えば、市町村が行う成人式の普及によって「成人年齢20歳」が国民の間に認識されていったと言うこともできる。その意味でも、成人式を何歳で行うかは重要なポイントなのである。

 

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18歳成人と「成人式」(5)

子どもの貧困と成人式

 成人式において特に女性の和装が広がったのは1970年代からである。1970年に発刊された塩月弥栄子著『冠婚葬祭入門』は700万部ものベストセラーであった。その中で「親は成人式を迎える娘に晴着を贈ってやる」という一項がある。著者は、親が多少無理してでも新成人に華美な服装をさせることを奨励している。高度経済成長の1960年代からバブルに至る80年代までは国民所得も年々増加していて、成人式に晴着を購入して着せることが可能であった。しかしながら、その後平成の間、実質的な所得は横ばいないし減少気味で、2016年では子どもの貧困率が16%となってしまった。晴着はレンタルでも10万円、新調すれば30万円以上の費用がかかる。これらの家庭の子どもたちは成人式に出席しているのであろうか。

 経済的な理由で成人式に出られない若者は、人生の出発点において社会から「排除された」と感じ、格差社会を実感することになる。現行の成人式の風潮では「自分は日本社会から必要とされていない」ことを感じる若者を一定数生み出していることが懸念される。

 18歳の成人式にメリットがあるのは、式典に学生服でもスーツでも和服でも「プライドをもって」出席できることである。服装にかかわらず出席できるのが18歳成人式の特徴である。そもそも成人式は、若者誰にでも平等に機会が与えられるべきものである。SDGs(国連持続可能な開発目標)の標語である「誰一人取り残さない」を推進できるのが18歳成人式である。

 

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18歳成人と「成人式」(4)

根拠がない「はたちを祝う会」

 2022年度以降に多くの自治体が実施しようとしている「20歳(はたち)を祝う会」には法制度的にも、民俗学的にも根拠がない。まず、法的には民法、公職選挙法、国民投票法といった成人年齢に関わる主要な法律は成人を18歳と規定している(少年法では20歳であるが、18歳への引き下げが検討されている)。20歳を根拠としている法令は、酒・タバコそして競馬・競輪・ボートレースのギャンブル関係である。「20歳を祝う会」とは、酒・たばこ・ギャンブルが解禁になったことを祝う会なのだろうか。「成人」になって2年もたってから行われる式典にどれだけの意味があるのであろうか。

 また、成人式は民俗学的には、子供から大人への移行を祝う「通過儀礼」の一種である。前近代社会では武士は「元服」という行事が数えで15歳のときに行われていたが、これも通過儀礼である。18歳は高校の卒業時期に相当するため、就職や進学という人生の転機に当たるので、通過儀礼としての成人式を行うのにふさわしい年齢である。これに対して20歳は若者にとって何ら「人生の区切り」にはならないのである。2000年前後に成人式が「荒れた」時期があった。そのひとつの理由は、20歳という区切りにならない年の成人式に意義が感じられなかったからであろう。

 

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18歳成人と「成人式」(3)

成人年齢引き下げの経緯

 18歳選挙権の課題が現実のものとして議論されたのは2007年である。それは、憲法改正のための手続き法である国民投票法案の審議に当たって、将来、18歳選挙権や18歳成人を実現することを条件に与野党が法案の成立に合意したからである。国民投票法案は20075月に成立し、この動きを受けて法制審議会は、200910月に「選挙権が18歳に引き下げられるならば、民法の成人年齢も引き下げるのが妥当」とする答申を出した。その後、政権交替の混乱で18歳選挙権問題は停滞した。結局、再び自公政権となり20156月に選挙権年齢を18歳以上とする公職選挙法改正案が全会一致で成立した。20167月の参議院議員選挙から18歳以上の者が投票に参加することになった。

 一方、民法改正により成人年齢が引き下げられたのは2018年であった。成人年齢の引き下げは多くの法律が関係していて、国民生活にも大きな影響を及ぼすため施行日まで3年程度の猶予期間が設けられた。18歳成人の実施は2022年度からということになった。18歳成人に移行するに当たっては、消費者保護や消費者教育、自立困難な若者の支援、市民教育の実施などいくつかの課題があった。政府では20184月に「成人年齢引下げを見据えた環境整備に関する関係府省庁連絡会議」を設置し、これらの課題を検討している。そのひとつが成人式の問題である。自民党では「成人式等に関するワーキンググループ(WG)」が201912月に提言書を出した。

 この提言書では、式の開催について「自治体の判断で20歳までの間の適切な時期に行うべき」としている。ここで問題なのは「18歳の人を対象に行う必要はない」と指摘し、「新成人を祝う会(仮称)」を「20歳の人々を対象として、現在の成人の日の前後に開催するのが望ましいという意見が多かった」と付記されたことである。その理由は、「18歳の成人式は入試直前の期間に当たること」「20歳で旧友と再会して落ち着いて式典を行うのがよいこと」「和服・写真館など関係業界への影響が大きいこと」などであった。

 今後は先の関係府省庁連絡会議が3月までに、成人式の実施を含めて18歳成人に伴う諸課題についての指針を示すことになっている。

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