東日本大震災

2011年12月31日 (土)

被災の年

思えば今年ほど災害にあった年はありませんでした。

まず3.11の地震では帰宅難民となり、自宅も2日間水がでませんでした。

その後の原発事故では、約1週間避難の放浪生活。

9月の台風のときには、傘おちょこずぶ濡れ状態。

11月のバンコクの洪水では、会議が延期になってしまいました。

年に4つも被災ないしは災害に影響されるとは思ってもみませんでした。

来年はもう少し穏便にお願いしたいものです。

でもこうして無事生活できていることに感謝しなければなりません。

皆様、よいお年をお迎えください。

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2011年11月15日 (火)

桂島かき祭でサンドウィッチマンに会った

先週末に復興支援ということで石巻と松島に行ってきました。松島の近くの桂島では「かき祭り」をやっていて、そこにウドちゃんとサンドウィッチマンが来ていました。

富沢さんに「ぜひライブに行きたいのですけど、次回はいつですか」と聞いたら、「う~ん、毎週こういうイベントに来ているので・・」とのこと。二人は宮城出身で毎週、このようなイベントで忙しいのです。

津波の被害を乗り越えて今年育てられた牡蠣、どれも絶品でした。

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2011年7月 8日 (金)

玄海原発、ハードよりソフトの問題

玄海原発はじめ停止中の原発の再稼働については、ハードも問題もさることながら、それを運営する電力会社、政府特に経産省などのソフトの問題という気がします。

九州電力のやらせメール事件を聞くにつれ、この期に及んでも過去の反省を全くしていない、ということが分かります。

安全に原発を運営できる人間側の体制が組まれなければ、再稼働どころの話しではありません。

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2011年7月 6日 (水)

被災証明書をもらってきました

一部の高速道路が無料になるというので、早速「被災証明書」を市役所でもらってきました。

東北の被災地と比べると本当に申し訳ないようなものなのですが、2日間の断水は「立派な」被災だそうです。

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2011年7月 4日 (月)

AERA蒸発

本日発売のAERAに「放射能マップ」が乗っているというので、朝、佐貫駅の売店に行ったら「今日は売り切れました」とのこと。別の売店でも「同じ量入荷しているのにすぐになくなりました」

常磐線に沿って放射能のホットスポットがあるという記事で、しかも、各市内の町ごとに細かい計測データが乗っています。

上野駅の本屋でようやくゲット。私の家から300メートルほどの中根台中学校では0.2マイクロシーベルトという値でした。自宅で計測したときは0.11でしたから、より高い値ですね。0.1と0.2とでは倍違います。

計測器を購入するので定期的に測定してみようと思います。

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2011年7月 3日 (日)

浜岡原発に行ってきました

土曜日に浜松の国際理解のグループで「援助する前に考えよう」のワークショップを行いました。その足で、浜岡原発まで行ってきました。

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    停止中の浜岡原発。再稼働することはおそらく永久に・・・

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2011年6月26日 (日)

線量計借りてきました

放射線を測る線量計を借りてきました。竜ヶ崎の自宅の部屋の中は毎時1.1マイクロ・シーベルトでした。家の周辺もだいたいこんな値です。

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これを年間に換算するとだいたい1ミリ・シーベルトです。国際的な基準値ではあります。ただ、原発事故前は一桁下の数字だったのですから、あまり愉快な話しではありません。それに内部被爆についてはまた別問題で・・

子どもの遊び環境などを調査するにも線量計は必携です。こんな時代になってしまうとは・・改めて政府、東電に怒りを覚えます。

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2011年5月22日 (日)

被災した人、しない人

気仙沼では教育委員会の及川さんをたずねました。国のESD円卓会議でご一緒させてもらっています。気仙沼市は2校をのぞいてESDを推進するユネスコスクールになっています。

全市が壊滅状態となった陸前高田と違って、気仙沼には高台に住んでいる人も多く、わずか1メートルの高低差で「被災者」とそうでない人とに分れました。浸水していない家はまるで何事もなかったかのように普通の生活をしています。被災した人は避難所などで不便な生活を強いられていて、おそらく元の場所に住むことも難しい。この格差が町内会レベルで起きているのです。

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テレビの画像によく出てくる場所だけではなく、近くの海岸にも連れていってもらいました。やはりガレキの山でした。報道からは感じられない震災のスケールを感じました。北は青森から南は千葉まで、海岸線でこうした状況が延々と500キロにわたって切れ目なく続いているわけです。この事実に改めて気付いた次第です。

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2011年5月21日 (土)

陸前高田の八木澤商店

立教のESDセンターでお世話になっていた方々を訪ねて陸前高田と気仙沼に行ってきました。

陸前高田の河野さんには昨年地元学のセミナーでお話ししてもらいました。八木澤商店という老舗のお醤油屋さんです。今回の震災で店舗は壊滅状態で醤油の醸造ができなくなりました。一度は廃業を考えたそうですが、社員たちが無給でもいいから再興しようということで続けることになりました。それどころか4月から採用予定であったお二人も断ることなく採用しました。こうしたことがテレビなどで放映されて、全国の見ず知らずの人から激励の手紙や品々が多数送られていました。

幸い流された樽から良質のままの麹が見つかり、また県の試験場に提供していた麹があったりして、代々続いてきた醤油をまた造ることができるそうです。それでも最初の醤油ができるまでには2年もかかるとか。

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          津波を受けた元の店舗(陸前高田)

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          仮の店舗で営業再開

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2011年5月15日 (日)

バングラデシュから1000万円相当の寄付が

土曜日にシャプラニール=市民による海外協力の会の評議員会に行ってきました。

その席で、バングラデシュの協力団体から東日本大震災の被災者に対して合計60万円の寄付があったことが報告されました。バングラと日本では物価が20倍は違いますから、これは1000万円相当の寄付ということになります。寄付してくれたのはもちろんお金持ちではなく、シャプラが長年協力してきた村々のごく普通の人々です。

日本への送金が大変だそうで、今バングラの中央銀行がそのシステムづくりをしているとか。何でもバングラから外国に援助するための送金はこれが初めてなのだそうです。

タイのクロントイスラムで活動しているプラティープ財団からも多額の義援金が寄せられたと報じられています。

日本とアジアとの関係、NGOの役割の変化、などいろいろなことを考えさせられました。

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