« 贈与のパラドックス | トップページ | シャプラニールのパラドックス »

2011年8月18日 (木)

「援助する前に考えよう」のパラドックス

 今年の開発教育の全国研究集会でも行ったワークショップ「援助する前に考えよう」にも贈与のパラドックスが含まれている。このワークの冒頭では、タイの山岳民族の村の学校を見て20万円を寄付し、かつ学校の前に援助を呼びかける看板を建ててきた「アイ子」さんが登場する。アイ子さんの行動は正しかっただろうか、を考えるワークである。

 乏しい学校の教材や道具を買うために寄付することについては、当初は多くの人が賛成する。しかし議論が進んでいくうちにさまざまな疑問も出てくる。「お金はきちんと使われたのか」「村には他のニーズがあるのでは」から始まり、「村人の自立を阻害している」「村人の意見を聞いていない」「自分の基準で村を貧困と決めつけている」などなど。まさに贈与のパラドックスのオンパレードである。

 その後いくつものワークが続き、慈善型の援助から技術移転型、そして住民参加型開発の理解に至る。最後のワークで、「ではアイ子さんはどうすればよいのか」という問いかけがある。
 「アイ子さんはもっと村について学習すべき」「日本でタイの実情を知らせる」「参加型開発を学んでから再度村に関わる」「地元のNGOを通して間接的に援助する」等々。いずれも「贈与から交換へ」というプロセスに位置づけることができる。

 私が推薦する一番簡単なやり方は「村人と長く交流する」である。これはもともと贈与ではなく交換である。長くつきあう中で理解を深め、場合によっては援助することもされることもある、それが自然なつきあい方だと思う。

http://www.rikkyo.ne.jp/web/htanaka/06/Enjomae00.html
 
 
 

|

« 贈与のパラドックス | トップページ | シャプラニールのパラドックス »

ほん」カテゴリの記事

子ども・若者・居場所」カテゴリの記事

開発教育・ESD」カテゴリの記事

コメント

最近、小学生時代からの友人と
一緒に、今は海を越えた岡山に
住んでいる旧友を訪ねました。

長くつきあっている友人もいれば、
そうでない人もいます。

「長く交流する」って、どういう
ときに「できたり、できなかったり」
するんだろう?と、不思議なものを
感じます。

投稿: 森井哲也 | 2011年8月19日 (金) 00時16分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/557951/52488236

この記事へのトラックバック一覧です: 「援助する前に考えよう」のパラドックス:

« 贈与のパラドックス | トップページ | シャプラニールのパラドックス »