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2011年8月17日 (水)

贈与のパラドックス

  仁平氏による『「ボランティア」の誕生と終焉』は、その副題である「贈与のパラドックス」がキーワードである。「ボランティア」あるいはそれに類する「慈善」「奉仕」などといった行為は、それを行った瞬間に「偽善ではないか」「自己満足ではないか」といった批判や冷笑にさらされる。そしてこれらの用語を使う者は、ことごとくその批判に応えられるような言説を求めていく。これを筆者は「贈与のパラドックス」と呼ぶ。

 本著では明治期に「慈善」や「篤志家」が出て以来の「贈与のパラドックス」の歴史を言説の分析によってたんねんに追っている。ボランティアはどのようにして批判や冷笑に反論してきたのか?

 
 それは「贈与」という一方的に与える関係ではなく、「交換」という対等な関係にできるだけ近づくという試みであった。例えば、それは社会教育の分野では「ボランティアはそれを行う者の学習であり、成長につながる」というような論理であった。社会福祉の分野でそれを政策的に主張したのは、なんと我らが学部長栃本氏(当時厚生省社会福祉専門官)である。栃本氏は「慈善的ボランティアから互酬性のボランティア」を説いた。ここではボランティア活動による人と人のネットワークづくりが強調された。この論理によりかつては否定されていた「有償ボランティア」も受け入れられるようになり、ボランティアの大衆化に貢献した。
 

 しかし「贈与から交換へ」という方向性は、当初「自発性、無償制、利他性」をその基本としていたボランティア概念を拡散させることになる。阪神大震災におけるボランティアらの活躍は世間の注目するところとなり、「ボランティア元年」などと言われた。しかし、マスコミに現れる「ボランティア」の用語は震災があった1995年がピークであり、その後急速に減っていく。それに代わって頻繁に登場するようになったのが「NPO」である。NPOも阪神大震災を機に議論が高まり、NPOを法人化する「特定非営利活動促進法」が成立したのは1998年のことであった。NPOは組織の形態を表す言葉であって、ボランティアと比べて「贈与」の感覚は少なく、贈与のパラドックスを抱え込むことはなかった。
 

 

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