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2011年7月 9日 (土)

出発点にあるウソ

原発をめぐる議論を聞いていて虚しいのは、議論の出発点にウソがあることです。
1970年代に原発が初めてできた頃は「A原発で事故が起こる確率は10000年に1回、とかB原発は5000年に1回」というような数字が出ていたのです。ところが80年代に入る頃から「原発では絶対に事故は起きない」という主張に変わりました。

およそ人間が造るもので「絶対」はありえないことくらい子どもでも分かります。永久機関(外部からのエネルギー補給なしで永久に動く機械)が存在しないのと同じくらい確かなことです。しかも、それを主張している原発関係者も、反対する人々も、この原点がウソであることは重々わかっているわけです。

かくて原発についてのあらゆる議論は虚しくなりました。単に議論が虚しくなったばかりではなく、ウソをウソと知っていて主張しつづける側のモラル(品位)が低下しました。こうしたことの延長線上に「やらせメール事件」もあります。およそ地域を代表する一流企業がすることではありません。それが常態化していることからも、問題の根の深さがわかります。

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コメント

お互いに「ウソ」が必要なぐらい
現実直視するのが耐えられない
のでしょうか?

投稿: 森井哲也 | 2011年7月11日 (月) 23時13分

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