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2011年5月 8日 (日)

浜岡原発について

阪神大震災のとき私は岡山にいて、南北ネットワーク岡山というNGOの連絡組織がありました。各メンバーはそれぞれのNGOで神戸の支援をしていました。

震災の数ヶ月後に南北ネットワークの例会で「次に大地震が来たときに、私たちはどのように動くべきか」というワークショップをしました。東海大地震が起きて、日本坂トンネルが通行不能になり、東京方面からの救援ができず、関西方面から行かねばならない、という設定です。

最初は持ち物をどうするか、というような話しで、何をもっていくかを考えました。水、食料、簡易トイレなど考えられるものを上げたのですが、救援活動をした人からは線香やお花も役にたつというような話しもあり、結局「何が役にたつかはわからないから、何でもかんでも積んでいこう」というような結論でした。

こんな意見もありました。「ともかく早く行くこと。被災者は最初の避難の段階で孤立感に襲われる。外部の人が到着することで『ああ、これで助かった』と感じる。だから何も持たなくてもいいので、早く行くことが大切。避難所のボランティアには序列があって、早く来た人の順に尊敬されている。」

こんな議論をした後、誰かが地図を見て「あれ、こんなところに発電所があるよ」と御前崎のあたりを指しました。「これって、原発じゃない?」

ということで話しの流れががらっと変わって「原発がどうなるか様子を見てから行くことにしよう」というような結論になりました。

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コメント

得られた情報によって、意見の大勢が二転三転
していくのが、興味深かったです。

一見、対立している意見も、(あるいは)各自の
持っている(大切にしている)情報によって、かなりの部分左右されているのかも?と思いました。

もちろん、その人たち個人の価値観も反映されるのでしょうが、
まず、情報を広く出し合って、意見の根拠をあきらかに
しながら「情報」「意見の理由づけ」などを共有化する作業が、基本的な作業として必要なのだろうなと思いました。

「誰が」言っているのか、「みんな」はどういう考えに向かっているのかなどが、同時に絶えず考慮されるのも、仕方ない/必要な面があると思いますが。

投稿: 森井哲也 | 2011年5月11日 (水) 07時18分

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