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2011年3月

2011年3月31日 (木)

『天空の蜂』

原発の状況は一進一退といったところで、まだ最終解決への見通しが立ちません。ということで何をするにも落ち着かない毎日です。

原発については1990年代くらいまでは盛んに議論されていたのですが、ここ10年くらいは「原発の議論は終わった」という雰囲気が強く、この問題を持ち出して議論することすらできないような状況でした。私も立教大学で環境教育の授業をしましたが、原発やエネルギー問題のことを話すことはほとんどなく、今はそれをとても悔いています。

『天空の蜂』は東野圭吾が1995年に発表したミステリーで、原発のことを扱っています。超大型の自動操縦のヘリコプターが、稼動中の原発の真上でホバリング。「現在稼動、建設中の原発を全て使用不能にしろ。さもなくばヘリコプターを落とす」という内容の脅迫が犯人から届きます。

この小説の特異なところは、犯人探しではなくて、犯人の動機にあります。ミステリーなので多くを語ることは避けますが、いつのまにかなしくずし的に議論もなく多くの原発が作られたこと、私たちの生活がそれに大きく依存していること、にもかかわらずその現実を見ないかのように容認している現代日本。そんな状況がこの小説の底流にあるように思います。

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2011年3月23日 (水)

上智の卒業行事

今日は上智大学の卒業行事がありました。全体の卒業式自体は中止なのですが、学科ごとに卒業証書の受渡しを行いました。卒業していく学生たちにとってはとてもよかったと思います。ただ、出席できない学生もけっこういました。

私たちは一時、上智大学の秦野キャンパスに避難していましたが、昨日竜ヶ崎に戻ってきました。皆無事です。

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2011年3月18日 (金)

関東から離れるのがいいかも

皆さん、お見舞いありがとうございます。

私たち家族は無事です。

明日から連休ですが、できるだけ関東より離れるようにした方がよさそうです。

早く収まるといいですね。

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2011年3月15日 (火)

ジュラシック・パーク

20年ほど前の映画に「ジュラシック・パーク」という恐竜の映画があります。DNAの技術を使って化石の中にある恐竜を現代によみがえらせて、南海の孤島に恐竜の動物園を作るという計画です。

結局恐竜は人間の制御不能となり、島で管理していた人々を次々襲い、皆命からがら逃げ出すというストーリーです。

最後のセリフは「恐竜をコントロールするなんて・・・そもそも人間には無理なんだ」。

恐竜を「原発」に置き換えるとよいかと思います。

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2011年3月14日 (月)

被災地を停電にする東電

東電の計画停電は第5グループの一部地域のみ実施されました。この中には被災地であり避難所がある千葉県旭市も含まれていました。あまりにも無神経な措置です。

第5グループには被災地である茨城県の東部が多く含まれており、計画停電の「無計画」ぶりが際立ちます。

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2011年3月13日 (日)

とりあえず生きてます

2日間の帰宅難民を経て、昨夜遅くようやく竜ヶ崎の自宅にたどりつきました。

帰ってはみたものの、自分の部屋は本や書類が散乱していましたし、水とガスが来ていないこともあって、昨夜はテレビを見て寝るだけでした。

ケータイではいろいろな方から安否の確認や励ましのメールを国内外からいただいており、自分も被災者であることを自覚いたしました。

朝、給水場所まで水汲みに行き、机のまわりを片付けてようやくパソコンに向かうことができました。

まずは自分と家族の無事をお知らせすることが大事かと思い、こうして書き込んでいる次第です。

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2011年3月12日 (土)

2日目の帰宅難民

モノが倒れてこないところを選び池袋の実家の居間に寝る。しかし、余震が多くてあまり寝られない。

テレビをつけると状況がますます悪化している。昨夜は1000人程度の死者・行方不明者が予想されていたが、時間とともにその人数が増えていく。

竜ヶ崎は震度6強だったので家族の様子も心配なので、何とか今日中には帰らねばと思う。11時すぎ山手線が動きだしたという情報が。池袋周辺は通常の土曜日と比べるとそれほどの人手ではない。ビックカメラのお兄さんがケータイ大売り出しを連呼していたがむなしく響く。

上野行きのホームもここではそれほど多くない。幸い10分ほどで電車がきた。各駅でそれぞれ長い時間停車し、ついに田端で運転見あわせに。向い側で停車していた京浜東北線に乗換える。上野駅はまったく違う景色であった。乗客がホームにあふれだし、他のホームに行くことができない。かろうじて出口までは行けたのでいったん外にでる。

中央改札口は長蛇の列。外の通りまで延々と列が続く。帰宅難民がまだ家に帰れないのだ。テレビ画面に出てくる新宿駅とは大違いなのである。宇都宮線は動いていない。常磐線も一時間に一本程度。

私はあきらめてもう一度実家に帰ることにした。しかしもう上野駅構内には入れない。20分ほど歩いて本郷三丁目に。地下鉄は動いているので、そこから新大塚へ。

実家に着くと「兄貴また来たのか?」。また用事があって家から出直してきたと勘違いしたらしい。ちなみに、本日開かれるはずの「子どもの参画10周年シンポジウム」は昨夜のうちに中止に。

夕方、福島原発1号機の爆発の模様が画面に出る。なかなかつながらない電話ではあったが、家に電話して「一応避難の用意はしておくように。わかめとトロロ昆布を確保するように」。わかめとトロロ昆布は放射能の体内への取り込みを抑えるためである。本当はヨーソ液がよい。

風向きが北北東で10メートルの風の場合、福島原発からの放射能は3~4時間で竜ヶ崎に到達する。以前東海村の原発事故があった際に計算しておいたものである。東京には6~8時間であろうか。

夜8時。意を決して、実家を出発。動きがよい地下鉄を利用することとして、新お茶の水から千代田線に。綾瀬で運転を打ち切られるものの、すぐ向かいに我孫子行きの常磐線が。これで我孫子まで行ければ何とかなる、とほっとしたものである。

我孫子からはわずか2駅であるが取手行きの常磐線が。取手についたときは心の中でガッツポーズ。家にメールと電話をくり返し、車で迎えに来てもらうことに。ちなみに取手以北は不通なので、タクシー乗り場には長蛇の列。

とにもかくにも家にたどりついたのが11時近く。2日がかりの帰宅であった。

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2011年3月11日 (金)

実家へ身を寄せる

そのとき私は西池袋の床屋にした。顔剃りをする直前だった。グラグラグラそしてドドーンというような衝撃があり「これはひどいですね」などと話した。なかなか揺れは収まらず、道を行く人々の悲鳴も聞こえ、車もストップしていた。

「震源地はどこでしょうね。遠いところならば現地は大変なことになっている」「そうですね。ところで揺れは収まりましたが、顔剃りされますか?」

「いえいえ、今日は結構です。」「その方がよさそうですね・・」

その日、お昼まで立教大学で会議があり、午後には早稲田で学会の打合わせがある。来週からタイに出張するし、たまたま1時間以上空き時間があったので散髪することにしたのである。

早稲田に向かうべく池袋駅に行くと、すべての電車はストップ。そのうちにまた余震と思われる大きな揺れが。これはとても会議どころではない。どうしよう。90歳になる父親の様子も心配だし、テレビで情報も欲しいので歩いて15分の実家に寄ることにした。

実家をたずねると、父は「すごい揺れだったね。テレビは2台とも落ちて壊れた」とのこと。そこで、弟夫婦の家に。名取市を襲った津波の様子をリアルタイムの映像で見る。これはひどいことになりそうだ・・

この日は結局、親戚の家族の居場所を探すのがせい一杯。芝公園から2時間半かけて歩いてきたり、大変。自分の家族ともメールで連絡がとれて無事を確認。まずは安心。そのうち、関西やネパールからも安否確認やお見舞いのメールが・・

なるほど私自身無事ではあるが一応被災者なのだ。「生きています」ということを伝えなくては・・幸い池袋にいたおかげで帰宅難民にならずにすんだ。

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2011年3月 1日 (火)

笑う沖縄~100年の物語

NHK・BSで「笑う沖縄-100年の物語」を見ました。M1で沖縄出身のスリムクラブが準優勝してブレークしましたが、ぜひ沖縄のお笑いを見てみたいと録画しておいたものです。

ところが、中身は非常にまじめなもので、沖縄のお笑いを通じて沖縄100年の苦難の歴史を語るというようなものでした。でもそれはそれで見応えがありました。

沖縄戦で多くの死者を出して悲しみの底に沈んでいる村を訪ねていって「生きてることをお祝いしましょう」と語りかける芸人のブーテン。悲しみや怒りを笑いとばして表現する沖縄芸人の魂は今も劇団「お笑い米軍基地」に受け継がれています。

再放送がありますのでぜひご覧あれ。

「春季特集~笑う沖縄~100年の物語(仮)」
NHK総合、2011年3月23日(水)22:00~22:48

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